どうも、あきらです。
今日、ご紹介する和歌山の観光地は「阿須賀神社」です!
阿須賀神社は、和歌山県の最南端の市である新宮市阿須賀にある神社で、世界遺産にも登録されています。
和歌山県の南の方ではおなじみの「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する一つなんです。熊野信仰と関わりが強いということですね。紀南地方の有名な寺社は全部世界遺産じゃないかって、錯覚しそうです(;^_^A
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」についてはこちらから↓↓
また、中国は秦の時代に渡来してきた「徐福」とも所縁が強いです。
そんな阿須賀神社、一体どんな場所なのでしょうか??
この記事でわかること
- 阿須賀神社について
- 阿須賀神社の風景(写真)
について書いています。
阿須賀神社について
阿須賀神社の創建は第五代孝昭天皇とされており、時は紀元前とかなり古くから存在していることになります!!
主祭神は「事解男命(ことさかのをのみこと)」とし、このほかに熊野三山の神々を祀っています。
熊野三山との関わりは、長寛元(1163)年に書かれた古文書から見られます。そこには、
「熊野権現が神倉山に降りたのち、阿須賀の北に勧請された」
と。つまり、”熊野の神様が神倉山(新宮市の西にある山)にやってきて、その後阿須賀へ来てもらった”という感じです。
勧請には、「神仏の来臨を祈り願うこと」と「神仏の分身・分霊を他の地に移して祀ること」
の意味があります。阿須賀に来てもらったのか、移したのかが解りませんでした(;^_^A
また、江戸時代には熊野速玉大社の摂社として、新宮城主の水野家から社領の寄進を受けました。当時の領主水野様から神社の領地を与えられたのです。
熊野速玉大社の摂社とは、熊野速玉大社と関係の深い神を祀る神社、ということです。
阿須賀神社には、熊野速玉大社の主祭神である「熊野速玉大神」と「熊野夫須美大神」が祀られています。ちなみにこのニ神は夫婦です。
熊野速玉大社は夫婦の神が祀られていることから、縁結びのご利益があると人気みたいです!
縁が欲しい人は熊野速玉大社にも寄ってみて下さい(笑)
この他に、『中右記』(平安貴族・藤原宗忠の日記)や『平家物語』の中にも阿須賀神社への参詣記録があるとされ、熊野詣の隆盛に伴い、発展してきたことが伺えます。
明治時代になると、村社・阿須賀神社として独立し、今に至ります。
あれ、徐福さんは?
ここまで一切出てこなかった徐福さん。徐福さんについてはこちら↓↓
ここから、徐福さんにまつわる部分を紹介いたします!
徐福さんとの関わりは、阿須賀神社の境内に「徐福の宮」があることから伺えます。
近くでもう一枚。
この地に徐福さんが訪れ、土地の人々に様々な技術(農耕や捕鯨、製紙)を広めたとされています。
「徐福の宮」は、徐福さんの功績を称え、作られたとされています。
また、阿須賀神社の背後には蓬莱山がありまして。秦を出るとき徐福さんが目指した三神山の一つも蓬莱山。何か運命を感じますね(^^)/
阿須賀神社の風景
ここからは境内を写真にて紹介していきたいと思います!
まずは入り口、鳥居から!
もう少し歩いていったところでもう一枚。
世界遺産であることの証明?がされています。
由緒ある神社なので、手水舎もご立派!
そしてお待ちかねの本堂です!!
朱色がとてもきれいな堂々としたお姿です!
境内には、先ほど出てきた「徐福の宮」の他にも、お稲荷さんと社があります。
本殿右側にお稲荷さん。
こちらは「子安之社」。なぜ「子安之社」と呼ばれているのか、、、解りませんでした(;^_^A
ただ、阿須賀神社は生産・発育にご利益があるそうで。また、社の左側には幼子を抱いたお母さんの像があることから、”子が安らかに育つ”ことを祈るための社では、と思います(まんまですが(;’∀’))!
おまけ
この阿須賀神社、僕の大好きなスタンプラリーの押印所の一つでもあります!
ぶっちゃけそれ目当てで行きました(;^ω^)
こちらは、熊野古道の大辺路を辿っていくスタンプラリーです。和歌山県が主催してくれています。
ちなみに「大辺路」とは、田辺市から海沿いで熊野を目指すルートのことです。
そして、阿須賀神社のスタンプが↓↓
一番外の鳥居から本殿を見た様子がスタンプになった模様。。。
まとめ
阿須賀神社、いかがだったでしょうか?
実際行ってみると、夕暮れ時だったこともあるのですが、静かで落ち着ける良い場所でした!!
僕としては最高のロケーションですが、にぎやかな所が好きな人は寂しいかもですが(;^_^A
近くに阿須賀神社の本社である熊野速玉大社や徐福公園など、なじみの深い場所が沢山あるので一緒に周ってみてはどうでしょう?繋がりがあると解って周るとより一層、趣が感じられるかもしれません!!
それでは(@^^)/~~~
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