皆さん、闘鶏神社をご存じでしょうか?和歌山県田辺市にある神社で、2016年に「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録され、世界遺産になりました。
「紀伊山地の霊場と参詣道」については、こちらからどうぞ↓↓
「紀伊山地の霊場と参詣道」 は、和歌山・奈良・三重の三県にまたがる3つの霊場と参拝道を指しています。物凄くざっくりというと、和歌山に住んでいる私としては熊野古道と熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を指している、という認識です。田辺市の神社がなぜ、追加登録されたのか謎でした(苦笑)
しかし、この闘鶏神社。熊野三山と関わりが強く、白河天皇の時代に熊野三山から勧請をうけており、熊野参詣に行く際には闘鶏神社にて心願成就してから向かったとされています。
また、熊野参詣に行けない人たちは闘鶏神社にてお参りすることで三山参詣に替えたと伝承されており、熊野三山の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担うという大役を果たしてきた神社です。謎とか言ってすいません(汗)
そんな由緒ある闘鶏神社、なぜ”闘鶏”神社なのか?その名には、平家物語壇ノ浦合戦の鶏合わせの故事に由来があります。
当時、熊野別当(熊野三山を統括する役職名)として熊野水軍を指揮していた湛増(皆さんご存じ、あの武蔵坊弁慶の父とされる人)は、平氏と源氏の双方より熊野水軍の援軍要請を受けていました。どちらにつくか迷った湛増は、神意を確かめるために神社本殿の前で紅白7羽に分けた鶏を戦わせました。赤を平氏、白を源氏に見立てたのです。ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣。見事源氏の勝利となりました。これが”闘鶏”神社の由来だそうです。
もし、赤の鶏がことごとく勝っていたら、沙羅双樹の花の色は盛者必衰の理をあらわさず、驕れるものは驕り散らかし続けていたかもしれません。こわやこわや。。。
このような逸話もある闘鶏神社、勝運が上がるのだとか!お守りなどもあるので、試験に合格したい方や試合に勝ちたい方は是非行ってみてはいかがでしょうか?
また、境内には”藤巖神社(とうがんじんじゃ)”なる神社もありまして、ここには紀伊田辺藩の初代藩主・安藤直次が祀られています。今回出てきた人物の中で一番マイナーな方だな、と思いましたが凄いのです。当時、産業が無かった紀伊田辺藩にて梅の栽培を奨励。それが今日、南紀と言えば梅と言われるくらい、和歌山の特産品になっています。
私はスタンプラリーの目的地というだけで訪れましたが、知れば様々な由来や人物が関わっており面白いですね。今後もおススメの観光地をアップしていきますので楽しみにして頂けたら幸いです。
それでは、また次の記事でお会いしましょう。
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