どうも、あきらです。
今回は和歌山の南方の町、那智勝浦町にある補陀落山寺です。
那智勝浦で有名なのは、「那智の滝」や「熊野那智大社」ですが、この名所に行く手前にあります「補陀落山寺」が今日の主役です!
この記事でわかること
- 補陀落山寺について
- 補陀落山寺の景色(写真)
以上2点が解ります!
きっと「那智の滝」を見に行く前に「補陀落山寺」に寄りたくなります(^^)/
補陀落山とは
かつて那智勝浦に広がる熊野灘は「補陀落の海」と呼ばれていました。
なぜ、そのような名で呼ばれていたのか。
熊野では海の彼方に理想郷・常世の国があると信じられていました。その名は補陀落山!
そこでは、観音菩薩が皆の願いを聞き、救いの手を差し伸べるとされています。
元々はインドの南方にある観音様が住むとされている山のこと。インドとどういう繋がりが?
補陀落渡海
補陀落山を目指して出向することを補陀落渡海と言います。
補陀落山寺は、この補陀落渡海の出発地として多くの僧が集まってきたとされています。
この補陀落渡海、小さな船に30日分の食料を積み出航したとされています。
補陀落渡海に使われた船を復元したものが境内に飾られています。
写真では解りづらいですが、かなり小さいです。。。こんなので大海原に出ていかなければならないとか、罰ゲームかのように感じます”(-“”-)”
因みに補陀落山寺の裏には、補陀落渡海に出た者たちの慰霊碑があります。
補陀落山寺
世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参拝道」を構成する資産ともなっているお寺。
世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参拝道」についてはこちらから↓↓
因みに以前紹介した「闘鶏神社」(田辺市)も「紀伊山地の霊場と参拝道」の構成資産。田辺市から那智勝浦町まで、車で数時間。。。この世界文化遺産広すぎるやろ(笑)
補陀落山寺の始まりは、仁徳天皇が治めていた頃にまで遡ります。インドから熊野の海岸に漂着した裸行上人が開山したと伝えられています。
補陀落山の由来がここで繋がりましたね!
また、補陀落山寺は那智権現の七本願寺の一つで、本尊は国の重要文化財です。
明治の神仏分離が行われたときは、那智山の仏像仏具類はこの補陀落山寺に移されたと言われています。
補陀落山寺は中辺路押印帳のスタンプ設置場となっています。
しかも一気に2つも押せます♪
何か得した気分になりますね♪
グルメ情報
補陀落山寺の観光に行ったとき、近くのビジネスホテルに泊まりました。
この時、せっかくなので「ディナーを食べに行こう」と探したら、1件ヒット!
「ビストロ ボヌール」さん!
夜お肉プレート(だったと思います(;^_^A)!!
こちらはプレートのデザートです!通常はミニシフォンケーキだったのですが、「追加料金払うので通常サイズ下さい」と無理を承知で頼んだらOKくれました(;^_^A
とても美味しかったですし、雰囲気も良く、是非行ってみて下さい!ランチもやってます!
他には、JR那智駅の横にあるカフェ?でカレーを食べたことがあるのですが、「もう一度食べたい!!」と思うほど美味しかったのですが、店名と写真を忘れるミス。。。
今度から気を付けます(笑)
まとめ
補陀落山寺についてご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
那智勝浦町へ観光に来て、メインを張る!というような場所では無いかもしれません(怒られそうですが、那智の滝の方がメジャーな気がしますので(;^_^A)。。。
ですが、那智の滝へ行く前や、その帰りにでも寄ってみて下さい!昔の人々の補陀落山への思いに触れられるはずです!!
また、ご紹介した「ビストロ ボヌール」さんも、是非食べに行ってみて下さい(^^♪
それでは(@^^)/~~~
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