どうも、あきらです!
今日は自身の推し棋士紹介第三弾です!
ニコニコ生放送の将棋解説で大人気の木村一基九段です!
木村九段を初めて知ったのはこの動画がキッカケです↓↓
仕事のストレスでやる気がない時に流れてきた動画なんですが、木村九段のトークに爆笑しっぱなしでした(笑)
これ、シリーズものになっていて、聞き手役の山口恵梨子女流三段(現将棋フォーカスMC)のコメントも相まってずっと見てられました!
木村九段は解説が面白いことから解説名人とも呼ばれています!
他にも、
- 千駄ヶ谷の受け師
- 将棋の強いおじさん
- 中年の星
などさまざまな呼び名で親しまれている木村九段!
今回は木村九段の魅力について紹介していきます!
木村一基九段について
木村一基九段の簡単なプロフィールは次のとおりです。
- 出身地…千葉県四街道市
- 誕生日…1973年6月23日生(50歳)※2024年6月9日現在
- 師匠…(故)佐瀬勇二勇次名誉九段
- 1985年、小学六年生の頃に小学生将棋名人戦でベスト8、その年の12月に奨励会入会
- 奨励会入会後、二段まで順調に上がるも三段昇段に約2年、三段リーグ突破に6年半かかる
- 四段昇段後の勝率が高く、通算500局以上対局している棋士の中で勝率7割を超えている棋士が木村九段と羽生九段という状態が続いていた
- 棋戦優勝は2回(新人王戦、朝日杯将棋オープン戦)
- 受賞歴は、新人賞・勝率一位賞(2回)・最多勝利賞・最多対局賞・敢闘賞・特別賞・名局賞
- タイトル戦出場は9回
これほどまでに素晴らしい実績を残してきた木村一基九段ですが、タイトル獲得は王位一期のみです。
王位を奪取したのも46歳の時、史上最年長での初タイトル獲得となりました。
参考:木村一基|棋士データベース|日本将棋連盟 (shogi.or.jp)
タイトル獲得までの長い道のり
タイトル初挑戦を決めたのは2005年の竜王戦。
この時は渡辺明竜王(当時)に0-4とストレートで負けてしまいました。
2回目は2008年の王座戦。
相手は羽生善治王座(当時)です。
この時、並行して行われていた竜王戦の挑戦者決定戦でも同じカードとなり「木村対羽生の八番勝負」となったものの、いずれも敗退(竜王戦挑結1-2、王座戦0-3)。
3・4回目は2009年の棋聖戦と王位戦。
棋聖戦では羽生善治棋聖(当時)と王位戦では深浦康市王位(当時)に挑戦することに。
この2タイトル挑戦が痛い結果に終わります。
棋聖戦では2-1と棋聖奪取に王手おかけるも、逆転負け。
王位戦では3連勝後に4連敗を喫する痛恨の敗北。
これはタイトル戦の7番勝負において、羽生善治九段の竜王戦に続く2例目の記録を残してしまいました。
5回目は2014年の王位戦、羽生善治王位(当時)に2勝4敗1持将棋で獲得ならず。
※持将棋は簡単に言うと引き分けのことです。
6回目も王位戦。
羽生善治王位(当時)を3勝2敗と後1勝まで追い込みますが、そこから逆転負けでタイトル獲得ならず。
タイトル獲得は7回目の挑戦の時!
2019年の王位戦で豊島将之王位(当時)にフルセット(4-3)の末、奪取!
初挑戦から14年をかけて念願のタイトル獲得を果たします!
僕なら諦めてしまいそうになるのに、努力を続けて成果を出すところがたまらなく好きです!
自身の揮毫(色紙やセンスに書く文字のこと)で、座右の銘である「百折不撓」(何度失敗してもくじけないこと)を地で行く姿勢に憧れます。
こういう生き方に加え、ユーモアたっぷりな解説が多くの人を引き付けるんでしょうね(^^♪
参考:木村一基王位、座右の銘「百折不撓」はマラソン大会の景品から|芸能人・著名人のニュースサイト ホミニス (hominis.media)
まとめ
木村一基九段の王位は翌年の藤井聡太現八冠により一年で失冠してしまいます。
当時、コロナウイルスと藤井フィーバーによりニュースで見た方も多いはず。
ただ、タイトル獲得が頂点ではなく、失冠した1年後には王座戦挑戦を決めるなど、まだまだ活躍されています。
棋風は「攻めの受け将棋」で、相手の攻め駒を攻めるスタイルで、玉自ら前に出ることもしばしば!
オリジナリティあふれるところもカッコいいですね!
僕自身、失敗や生活の流れが悪いとすぐに心が折れてしまうのですが、木村一基九段を見習って百折不撓の精神で頑張りたいと思います!!
それでは(@^^)/~~~い
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