どうも、あきらです!
今回ご紹介する和歌山県の観光地は「根来寺」です!
根来寺は、和歌山県の紀北、岩出市にある名刹です。
風吹峠からすぐの場所にあるので、大阪(泉南)からのアクセスも良いです!
最近では、京奈和自動車道が阪和自動車道と繋がったお陰で、さらにアクセスしやすくなっています!
岩出根来IC降りてすぐの所に根来寺があります!
今日はそんな根来寺について、写真とともにご紹介していきます!
根来寺について
根来寺は、覚鑁上人により開設された新義真言宗の総本山です。
約900年の伝統を誇り、山内には”日本最大の木造の『大毘廬遮那法界体性塔』(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)通称「大塔」(国宝)があります!
また、本堂の「大伝法堂」には重要文化財の本尊『大日如来』『金剛薩埵』『尊勝仏頂』の三尊が奉安されています!
この写真、取り忘れているという不始末。。。orz
そして、この根来寺は高野山やあの天下人・豊臣秀吉と所縁が深い所でもあります!
根来寺と高野山
根来寺は、世界遺産にもなった高野山と繋がりがあるんです!
世界遺産~紀伊山地の霊場と参詣道~はこちらから↓↓
根来寺を開山した覚鑁上人がもともと高野山の学僧だったんです!
覚鑁上人は肥前国(現在の佐賀県)出身。13歳で京都の仁和寺で出家。その後、「弘法大使・空海」に憧れて20歳で高野山に入山します!
厳しい修行の末に、40歳という若さで金剛峯寺の座主となり『弘法大使の再来』とまで呼ばれるようになります。
そう、高野山の最高権力者の座に上り詰めたのです!!
が、高野山の真言宗密教に当時の流行りである〔浄土信仰〕を取り入れようとして、高野山の僧侶から大反発をくらいます!!
いつの世も新しい事をすると反発が起きますよね(;^_^A
その反発具合も相当なもので、覚鑁上人は命を狙われる事に( ゚Д゚)!!
結果、覚鑁上人は金剛峯寺の座主の座をわずか二か月で辞任。
不動様のお堂にこもってしまいます。。。
もう一度自分自身を見つめ直そうとしたんですかね?(;’∀’)
それでも気が収まらない暗殺団(僧兵の皆さま)は、このお堂に乱入!
覚鑁上人、あわや大ピンチ!!
しかし、不動様のお力により助かります!
これが有名な「きりもみ(身代わり)不動」のお話しです!
ちなみに、どうやって助かったか?というと、
- 覚鑁上人、観念して一心に祈る
- 無我の境地みたいなのに入る
- 暗殺団には、不動明王が二体いるように見える
- 暗殺団「両方斬りつけて、血が出た方が覚鑁だ」と斬りかかる
- 両方の不動明王から血が出る
- 暗殺団「不動様の罰が当たる」と逃げ出す
- 覚鑁上人が助かる
といった流れです!
ざっくりまとめましたので、間違っていたらすいません!
ちなみに、根来寺にも身代わり不動尊が祀られています!
その後、高野山を降りた覚鑁上人は根来の地にやってきます。
根来に来て10か月後に入滅(お亡くなりになる)されるのですが、その間に根来寺の基礎を築かれます。
根来寺と豊臣秀吉
根来寺は一度、天下人・豊臣秀吉により壊滅させられたことがあります。
覚鑁上人が高野山で築かれたものの一つに「大伝法院」があります。
学問探求のために築かれた「大伝法院」、覚鑁上人が入滅された後も発展し続けます!
しかし、1242(仁治3)年に焼失。その後1288(正応元)年ごろ、頼瑜僧正が学びの拠点を根来に移します。
頼瑜僧正の学風が受け継がれていき、根来は「学山根来」として多くの学僧を抱えるまでに発展。
その勢いは、宣教師ルイス・フロイスの『日本史』にも紹介されるほど!( ゚Д゚)
しかし、これが悲劇を呼びます。。。
強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は、1585(天正13)年3月に根来に攻め入り、2~3の堂塔を残し全山焼失させます。
しばらくの間、復興の許可が出ませんでした。
その後、紀州徳川家の外護を受けて復興!
東山天皇より覚鑁上人に「興教大師」の大師号が与えられました。
歴史だけではない根来寺
ここからは写真も踏まえながら、根来寺を紹介していきます!
根来寺の境内は約350万平方メートル。
広大な敷地内では、散策しながらにはたくさんの見所を楽しめます!
散策する道も自然豊かで気分が良くなります(^^♪
まとめ
和歌山の紀北にある名刹、根来寺!いかがだったでしょうか?
高野山や秀吉さんなど、歴史に深く縁がある根来寺!
それだけでなく、
- 春は桜
- 夏は新緑
- 秋は紅葉
と季節の移り変わりごとに景色が楽しめる場所でもあります!
入山料として中学生以上は500円(小学生以下無料)がかかりますが、中々見ごたえがあります!
近くに道の駅もあり、色々と楽しむことができる場所ですので、是非訪れてみて下さい!!
それでは(@^^)/~~~
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